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主従契約書については「自覚したころ」でも少し書きました。契約書が主従の約束をした男女の間でしばしば結ばれることを知らずに作成し、結んだ経験についてでした。
なぜ書いたのかを振り返ってみると、相手の女性を支配していることを目に見える形で残しておきたいという動機からだったと思います。
内容は、契約書の意義、どこまで支配するか、その限界、女性の義務、一定の儀式、契約の破棄などで構成されていて、その後アメリカや国内の契約書を照らし合わせみても、一応の形式は整っていたように記憶しています。
男からすれば目に見える文書として残したいということの他に、契約書を作成することや女性の同意を得るプロセス、付き合いの中で女性を責めるツールとして契約書にしばしば言及すること自体が喜びに繋がっていると思います。女性のほうも、自分が特定の男性の支配を全面的に受け入れるプロセスは、大きな決断を要求されるともに、その後の安心感は喜びに変化していくでしょう。
さらに、この契約から離脱するためには、口頭での約束事と違って、女性側が一定の手続きを踏まなければならなので拘束が強いことになります。それだけに、自分が常にこの拘束に縛られた存在であることを意識することも女性の秘かな喜びになると思います。
このサイトで私にとって望ましいパートナーと奇跡的に(笑)出会うことができたら、もちろん主従契約書を結ぶつもりです。
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