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主従関係に限りませんが、愛に似ていても、実際には愛でない女性の情動にぶつかることがあります。
心理学者ではないので、あまり普遍的に語ることはできませんが、体験から感じることを書いてみます。
こころに大きな空洞、空虚さを抱えている女性がいます。彼女にとってはこの空洞を埋めてくれるのが「主」である男性なのです。そして自分の空洞が満たさていると実感できるのは、自分が男性に性的に求められている時間です。
そのために彼女は主従関係も喜んで受け入れ、さらに「主」から求められることにはほとんど何でも応じようとします。こうして一見すると主人に深い愛情を注いでいるように見えます。
しかし、彼女は性的に求められない時間はこころの空洞に苦しんでいるのです。「主」に性的に放置されている時間が長くなると、苦しみに耐えられず、空洞を埋めるために危険を顧みず、他の男性をランダムに求めるような破滅的な行動をとったりもします。
彼女にとって相手になる男性は性的存在であればよく(さらにはSの男性でなくてもよい)、人格は本質的に問題になっていないように思えます。彼女を動かしているのは、自分のこころの空洞を埋めること、自分の情動をたとえ一時的であっても満たすことであり、相手の人格は見えていないからです。
愛というのは、お互いの身心のふれあいであり、結びつきであるとすれば、彼女の場合、その情念は愛とは呼べないでしょう。
しかし、これだけ大きな空洞を抱えた女性に、倫理的な批判は無意味であり、こころの一つの病としてとらえ治療を勧めるべきかも知れません。
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