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「主従の形」の続きになります。
主従とは「支配と服従」の形をとる愛情関係とごくシンプルに定義してみましたが、この関係の本質、あるいは特徴はこの定義からは見えません。
結論を先に言えば、私はその本質は、精神的な絆にあると考えていますし、この点にSMとの違があると思っています。主従とSMとは重なるところもありますが、決定的な違いは、極端な場合、前者はたとえ肉体的な繋がりがなくても成り立つという点です。後者は逆に行為が中心にある関係です。
というのは主従では精神的な絆が中心にあり、さまざまな行為は目的ではなく、むしろその絆を証だてる手段になるからです。
では「精神的な絆」とは何かが問題になります。一言でいえば、お互いに相手のことがいつも生活の中心にあるこころの状態ではないかと思います。もちろんそれぞれ仕事や(時には子供たちがいたり)その他の社会的活動を抱えているわけですから、「いつも生活の中心」というのは難しいかも知れません。ノーマルな男女関係ではそうであってもいいわけですが、主従関係では絶えずその困難さを乗り越えていこうとします。主はいつも相手の女性を所有していることを、女性のほうも同様にいつも主に支配されていることを確かめたいという欲望を抱えています。
なぜそうなるかと言えば、所有/被所有の限界がないからです。象徴的にいえばその限界を超えるためには、男性が女性を体内に取り込み、消化してしまうこと以外にありません。しかしそんなことは不可能です。だからこそ主従の二人はいつも所有/被所有の不完全性に悩まされていると言えます。
しかしその悩みは不快なものとは限りません。むしろ逆です。限界がないからこそ、共にどこまで行けるか探りあてていくのは無上の喜びでもあるのです。
そして探り当てていくのは肉体ではなく、お互いがさまざまな支配/被支配のこころみをどう受け止めていくかというこころです。
このサイトのタイトルを「Love Supreme」(至上の愛)としましたが、これは主従関係の持つ魅力を形容するためです。
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