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ここでは主従関係について私の考えるところを書いてみます。もちろん異なった意見もあると思います。あくまで私の嗜好や経験にもとづく個人的な考え方です。
主従関係とは、ごく単純化していえば、男性が主(マスター)として女性を支配、コントロールする形の愛情関係です。普通の男女間の愛情ではお互いに対等であることが前提にあるわけですが、主従関係は、両者は対等ではなく、支配と服従の形、私の好きな言葉でいえば男性が女性を所有する形をとることになります。
もちろんこの関係は男性の一方的な支配だけで成り立つわけではなく、その男性に支配され、服従することに喜びを覚える女性の存在が不可欠です。支配を望む男性と、支配されることを望む女性が出会ったときに、初めて成り立つ関係です。
その意味で主従関係も男性と女性の自由な同意にもとづくものです。
もちろん現代の法律でいえば、男女が平等であることが大前提ですから、主従関係はたとえ両者が同意するとしても公序良俗に違反するものとして許されず、無効なものとみなされるでしょう。
けれども主従関係は形式的には男女間の性行為の領域に属するもので、国家としては本来は不干渉であるべきものだと思います。
ただ主従関係では女性の権利の侵害が問題になりえます。あくまで男女間の同意に基づく関係であり、お互いに自由意思で主従としての関係に入るとしても、そこには絶対的な限界があります。女性の意思に反し、身体的、精神的なダメージを与えてはならないことや、もし女性が主従関係を解消したいと思えばいつでも可能でなければならないということです。
ここでは法律論をすることが目的ではないのですが、大事なことなのであえて言及しました。
さて話を戻せば、男と女が自由な意思で支配と服従の関係に入ることが主従関係のポイントだということです。
次に、なぜ普通の愛情関係にとどまれず、支配と服従なのかが問題になるでしょう。
これはサディズム、マゾヒズムとは何かとも関係していて難問ですが、私は、単純に男女とも愛情が深いタイプだからことと理解しています。ノーマルな人よりも愛情が過剰で、男性の場合には「支配」にまで、また女性の場合には全面的な「従属」までいかないとその過剰を解消できないからだと。
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